55年体制を簡単に説明する
55年体制とは?
時は戦後。
当時は冷戦の真っただ中。
代理戦争が起き戦争の危機が高まった時期だった。
中国では中国国民党が国境内戦で敗れ共産党が中国を支配したためアメリカは日本を共産主義の防波堤にしなければならなかった。その結果日本を再軍備させる政策へ転換した。
この当時日本は非民主化、非軍事化に逆行する動きが加速しこのことを逆コースと言う。
日本の逆コースに対抗したい社会主義系の政党は護憲と反安保を掲げ連合をくみ社会党統一が行われた。
社会党統一に危機を覚えた日本民主党と自由党はそれに対抗して保守連合を作り自由民主党(自民党)が作られた。
自民党は憲法はアメリカからの押しつけであるとして憲法改正を主張した。
一方社会党勢力は日本の逆コースに対抗するべくなんとしてでも改憲を阻止したい。
憲法改正に必要な条件は各議院の総議員の3分の2以上の賛成と国民投票で過半数を獲得する必要があった。
何としても改憲したい自民党であったがその議席は3分の2に届かず、社会主義系の議席は3分の1を占め
改憲が阻止される状態が続いた。
この政治体制を55年体制と言います。
その後、55年体制は40年近く続きバブル崩壊やリクルート事件、東京佐川急便事件をきっかけに政府への不満が高まり自民党の選挙での敗北を機に55年体制は崩壊した。
1989年にはソ連も崩壊し社会党勢力の勢いも弱まりなんと社会党勢力も惨敗してしまった。
ここから様々な政治改革や行政改革、経済改革が行われ現代の日本へと変わっていく、ここから若者の知る日本の政治体制が始まった
そう考えるとやはり私たちは歴史の流れの中にいるのだなと実感できますね。